那覇地域マップ 中学校版
県指定文化財 有形文化財 美術工芸品 書跡
蔡温の書
さいおんのしょ
察温の書 写真  
所在地 前島2丁目14の11
指定年月日 昭和42年4月11日
解説
 蔡温・具志頭親方文若[ぐしちゃんウェーカタぶんじゃく](1682〜1761年)は、中国との外交関係の仕事を専門とする久米[くめ]村の出身です。1708年から10年まで約3年間在留通事[ざいりゅうつうじ]として福州に滞在し、地理や儒学を学習しました。
  また職は、訓詁師[くんこし]・講解師[こうかいし]・長史[ちょうし]・国師職[こくししょく]などを経[へ]て、1719年には、紫金大夫[しきんたいふ](親方[ウェーカタ])に昇進しました。1728年には、政治の最高実務を握る三司官[さんしかん]になり、1752年まで勤めました。その間、『独物語[ひとりものがたり]』『自叙伝[じじょでん]』『林政八書[りんせいはっしょ]』『農務帳[のうむちょう]』など多くの著作を残しています。政治家・行政官としては、羽地[はねぢ]川の改修工事・山林の整備・検地[けんち]の実施など幅広い業績を残しています。
  この「言多語失皆因酒」(言多[げんおお]く語失[ごうしな]うは皆酒[みなさけ]に因[よ]る)・「義断情疎只為銭」(義[ぎ]を断[た]ち情疎[じょううと]きは只銭[ただぜに]の為[ため]なり)は、蔡温の道徳にふさわしい対句といえるでしょう。1732年評定所[ひょうじょうしょ]から発布され、蔡温自身も署名している『御教条[ごきょうじょう]』にも「酒の戒」・「金銭と正義」の項目が立てられ、「酒は酔うほど飲むと身命の痛み、家法の支障、風俗の妨害となる」、「金銭は日頃から義理正道の心がけがなければ、損得の欲が起こり世間の批判も省みず、口論し犯罪を犯すことにもなる」と書かれています。

印刷 閉じる